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2011年5月11日 (水)

2ヵ月~ふるさと釜石を想う

昨日、そう言えばと思い検索していました。というのは、2ヶ月前の津波のあの日から、親類の消息を知るために、避難所情報を見ていると、どうも私の母校 小佐野小学校や小佐野中学校は、旧という字が付いていたような・・・。親類の消息を知る事に必死だったので、頭の隅にありながらもそのままにしていました。

先日、GW前半の釜石訪問から戻って、姉と話していたとき、姉が「えっ、小佐野小学校がないってどういうこと?」と言ったので、当時10万人都市だった釜石が今は4万人ほどになり、学校は統合されたようと伝えました。それで、あらためて昨日検索。校舎はそのままあるようですが(避難所になったので)、釜石市内の小中学校は数が減って、名前も変ったようでした。
大きな学校でした。たくさんの生徒、姉の時代はもっとたくさんの生徒。
自分の子供時代遊んだ(学んだ)小学校や中学校がないのは、思い出がなくなったよう、とても悲しくなりました。長い間ふるさとを忘れていた罰だろうか。自分を責めたくなります。今度、釜石に行くときは訪ねてみよう。

今日は11日、津波から2ヶ月は厳しい期間だと思います。直後が過ぎ、将来が具体的でないその途中のとても不安な時期だろうと思います。亡くなった親類は助かった親類を助けました。いろいろなことを知り、私もとてもつらい今です。でも釜石の友人や助かった親類はとても強いです。私もしっかりして、被害にあった親類、ふるさと、東北、日本、自分を助けることを考え実行したいと思います。

裁縫ボランティアまで至らなかった箱崎の避難地域に、スーツケースに入りきらず残していた布地を整理して、裁縫好きなみなさんへ送ろう。
※ゆうパックで確認したら食品以外は津波被災地でも送付できるそうです。

人は活動して生きていく。何かしなければなりません。
生きている人は活動することで、亡くなった皆さんを弔いたい。

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『ふるさと いわて 釜石』」カテゴリの記事

コメント

お知らせありがとうございました。
東北がふるさとだったのですね。
裁縫ボランティアお疲れ様でした。
現地の方々、とっても喜ばれたことでしょうね。
自分の得意分野で貢献するって、素晴らしいことだと思います。

教材注文のため先日トーカイ(って手芸用品の店ご存知ですか?)に行ったら、手作りレッスンバッグと上履き入れでボランティアというのをやっていました。トーカイが作り方マニュアルを作ってくれて、まとめて発送するというもので、私も1セット作って店舗に置いてきました。

それぞれの得意分野で日本を以前よりも力強くあたたかい国にしていきたいものですよね。
私も微力ながら自分なりにやっていけたらと思います。

投稿: いづたん | 2011年5月16日 (月) 12時59分

いづたんさん♪
facebook使い慣れないといろいろな事が
起こりそうですね。すみませんでした。
手芸やさんには特に明るくないのでトーカイは知りませんが、
同じような活動は、大手はヴォーグをはじめ、個人の方でも
まとめて被災地に送っているようですね。
うちの生徒さんもだいぶ参加されていましたよ。
嬉しいです。

現地に行ったものとしてはまだまだ、多方面の支援が
必要と思いました。
復旧は始まったばかり、全員が参加しないと、東北が
、日本が私たちが救われないと思いました。

投稿: マダムミコ | 2011年5月17日 (火) 00時00分

はじめまして。つい最近このblogを知りました。僕の故郷箱崎の事を詳細に伝えて頂き感謝しています。
震災時は、僕の両親も箱崎に居ましたが、山に登り命からがら逃げて助かり、現在は僕が住む千葉の木更津で、一緒に暮らしています。箱崎の親戚は全員助かりましたが、赤浜に住む親戚二人が今だ身元確認が取れてないです。
まだ箱崎に帰れてないですが、blogで箱崎や釜石の様子を伺え、両親も自衛隊のヘリコプターで運ばれてから、箱崎の様子を気にかけていたので、blogを見て状況を少しは把握出来たみたいです。
母は洋裁が大好きで、良く布地を買ってきては、自分でシャツを作ったりしてましたので、何かの縁思いメールしました。先日ぽつり『ミシンも津波で流されたな〜』って行ってたので、近い将来ミシンでもプレゼントしたいなと思います。みっこさんのお店にも母を連れていけたらと考えております。
それでは長々失礼しました。

投稿: 小林 | 2011年5月30日 (月) 00時59分

小林様
初めまして。
裁縫と箱崎のご縁でコメントを頂きありがとうございます。
お母様お元気ですか?裁縫は集中できるので、とても精神的にいいと思います。ミシンがあればなによりですが、布地と針をもつだけでもいいですね。ぜひ元気になってください。
箱崎は小さなところなので、被害が甚大でした。小林さんの箱崎のご親戚は無事でよかったです。ご両親も山に逃げるの大変でしたね、本当に怖かったと思います。赤浜のご親戚はまだなのですね。早く身元確認ができることを祈っています。私の親類は母方の4つの家族が箱崎に住んでいたのですが、昭和8年の津波とは比較にならない大きさの津波で、4人亡くなりました(早い時期に火葬できたので幸いでした)。山の方の家(ブログに登場)だけが残りました。残った山の方の親類も、自分達で行方不明の人たちを捜索をしたそうで、それは大変だったそうです。

景色の美しい箱崎が戻って皆さんがまた普段の暮らしに戻れる日が来ることを心から願っています。私も何かお役に立ちたい気持ちでいっぱいです。

※小林様
頂いたメールアドレス(携帯)に、ここに書ききれないことを別にメールしたのですが、お届けできないようです。よろしければこのブログの右上メールより、メールアドレスをいただければ助かります。

投稿: マダムミコ | 2011年5月30日 (月) 09時50分

ミコ様

暖かいお心遣いありがとうございますconfident
携帯の設定が悪かったみたいです。パソコンは両親と暮らすのに、引っ越してまだバタバタしていて(部屋が狭く荷物だらけで片付かず)、繋いでないので母にマダムミコさんのblog早く見せてあげたいのですが・・もう少し時間が掛かりそうです。

投稿: 小林 | 2011年6月 1日 (水) 00時32分

小林様
メール再送しましたが不達でした。でも、ゆっくり、パソコンがつながったら、ブログをお母様に見て頂いて“メール送信”の所からメールをしてみてください。
そのとき又お送りします。私の箱崎の親類の高齢なおばおじ達は釜石の仮設に引越しできました。若い従兄弟達はまだのようです。桜木町の友人近くの小川体育館には白浜の方々が多く居ました。みなさんどうされてるでしょうか。避難所情報を見たら、5月初めの時点では、又人が増えていました。

投稿: マダムミコ | 2011年6月 1日 (水) 09時57分

ミコ様

ダメでしたか〜wobbly
今月末までにはパソコンつなげます。
僕の本家のおじおばは、今は花巻の旅館で避難生活してます。今まで箱崎という狭い場所で、高齢になった親戚のおじおば達が、お互い助け合って暮らしてきたのに、今はてんでんばらばらになって、みんな心細い毎日を送ってると思うと、胸が痛みます。時々箱崎の事話すと、郷愁の念にかられ、涙ぐみながら話してます。長い時間いろんな事を、両親と話す機会が増えるとは思ってなかったので、家族は近くにいるもんだなぁとつくづく感じてます。

投稿: 小林 | 2011年6月 1日 (水) 15時33分

小林様
津波から助かり避難できたといえ、落ち着くことがなく、皆様ご心労だと思います。できるだけ元の暮らしに近い生活、家族が近くにいる生活が早く訪れることを祈る気持ちです。

投稿: マダムミコ | 2011年6月 3日 (金) 09時46分

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