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2011年7月 1日 (金)

みっこ師匠と釜石市箱崎町へ

毎日暑いですね。出かけた6月終わりの釜石は、用意した夏物を全部重ね着する寒さでした。でも今週は被災地も暑いそう~

箱崎町は釜石市にあります。
内陸の市内ではなく、三陸のリアス式の箱崎半島に小さな山を背に海に開かれた明るい美しい町です。その町が、3月11日の津波で甚大な被害を受けて山の方の家を残して、ほぼ壊滅しました。


生まれ育った町が失われ、実家や釜石市で弟夫婦やお嫁さんに従姉妹までも亡くした母みっこ師匠と週末ふるさとを訪ねました。


四十九日も百か日も過ぎて、やっとこの日、お墓に納骨できることになりました。
※亡くなった方も多数(行方不明の方も)、町のお寺も被害を受け、お坊さんは時間が空きません。

【6月26日(日)箱崎町】雨
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亡くなったお嫁さんのお母さんが、亡くなったおじおばに
「宜しく頼みます。」と花を手向けました。

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この道を左海方面から、右山方面に津波が来ました。

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みっこ師匠の実家は鉄骨が残っていましたが、
鉄材不足で集められたそうです。道路斜向かいの家は
外枠は残っていますが、中は強い津波で何もありません。

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4月行ったときは、がれきが多く残されていましたが、
小学校のところはきれいに取り払われていました。

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テレビでも映ったそうですね。

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山の斜面にある墓地なので階段のすぐ上にお墓。

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雨なので、和尚さんが、「気をつけて」と連呼しました。
無事、納骨を終えました。気丈にしていた従兄弟がようやく涙声で挨拶をしました。
涙が出なければ癒やされない。


箱崎町被害後の地図です。
Photo
Googleからお借りしました。

釜石市沿岸地区の震災被害の写真は⇒こちらにまとめてありました。



【釜石市】災害対策本部のあるシープラザ後ろの入り口6_030
箱崎の納骨を終え、市内に戻りました。
昭和8年の津波、釜石市は昭和20年本州初の艦砲射撃が二度もありました。
そして今年3月の津波、信じられない歴史の体験をしている母達。



【6月27日(月)市内】この日からみっこ師匠と別行動

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私の通学路は土手、道路ではなく、この土手を
歩いて学校に通いました。 当然遊びながら~
寒いので幼なじみの娘さんのスタジャンを借りました。

川に氷が張ると私は長靴スケートをしたそうです。
私が忘れていることを幼なじみが良く覚えてくれました。

※冬、川に氷が張っても釜石は気温がそれほど低くないので
氷に上がることは危険で川で遊ぶことははもちろん、スケートなどは禁じられていました。
たぶん、川の上ではなく、川沿いにある浅瀬の凍った場所で
遊んでいたのだと思います。
良い子の皆さんは決してまねないでね。


【6月28日(火)】晴れて急に暑さが戻った~
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所用で盛岡経由で戻りました。

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